Pocochan通信

当サイトは、毎日の時事・芸能・スポーツ・一般に関する情報を2chやTwitterの声をまとめています。毎日、更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

    カテゴリ: 教育

    早稲田大学文学学術院の大学院生だった女性が、文芸評論家でもある同大学の渡部直己教授から性的なハラスメントを受けたとして、大学に「苦情申立書」を提出していたことが、早大や女性への取材でわかった。渡部教授はプレジデントオンラインの取材に対して「文言は覚えていないが、過度な求愛をしてしまった。大学の処分を待って身を処すつもりです」とハラスメントを認め、辞任の可能性を示唆した――。

    ■「おれの女になれ、と言われた」と泣きながら説明した

    被害女性は、早大にハラスメントについて相談したところ、指定の書式による「苦情申立書」の提出を求められ、今年6月に提出した。早大広報課は「本件については、連絡を受けてから申出人と関係者との数回にわたる確認を経て、6月14日にハラスメントに関する書類を大学として受け取り、対応を進めております」と説明している。

    申立書などによると、被害女性は、創作の勉強をするため、2016年4月に早大の大学院である「文学学術院」の現代文芸コースに入学。渡部教授が彼女の指導教官に就いた。翌年4月、渡部教授は「おまえの作品をみてやるから」と2人きりの食事に誘い、東京・高田馬場の飲食店「カフェ コットンクラブ」で「おれの女になれ」と発言した。

    この言葉に女性はショックを受け、店を出るとすぐに知人らが会食していた近くのファミリーレストラン「サイゼリヤ高田馬場東早稲田通り店」に駆け込んだ。

    ファミリーレストランで女性と会った会社員の男性(30歳)は、当時の状況をこう説明する。

    「この日は早稲田の学生が開いている読書会の日で、彼女も来る予定でした。しかし彼女は来ず、読書会の後、サイゼリヤに移動して、食事をしていました。彼女から連絡があり、居場所を伝えると、すぐにやってきました。そして『渡部さんに、おれの女になれ、と言われ、逃げてきた』と泣きながら説明したのです。彼女は屈辱と戸惑いを感じていたようで、その話しぶりが強く印象に残っています」

    ■「過度な愛着の証明をしたと思います」

    渡部教授は6月14日、プレジデントオンラインの取材に対し、次のように答えた。

    ――「おれの女になれ」と発言したのか。

    「そのような言い方ではなかったと思う。過度な愛着の証明をしたと思います。私はつい、その才能を感じると、目の前にいるのが学生であること忘れてしまう、ということだと思います」

    ――そうした発言は本当にないのか。

    「過度な求愛を……。その時は卒業したらといったと思いますが、『おれの女に』といったとは覚えていませんが……」

    ――彼女に対して恋愛感情があったのか。

    「(だまってうなずく)」

    ■「相手が生徒であることをすぐ忘れてしまう」

    ――発言は、男女関係になってほしい、という意図だったのか。

    「そうではない。付き合ってくれという意味じゃないでしょうか。付き合うというか、卒業してもこうやって指導できたらいいということ」

    ――付き合うと指導は別のことでは。

    「教師として不適格かもしれないが、相手が生徒であることをすぐ忘れてしまう。過去にそういう事例があったかは学校に説明します」

    ――今回の行為を問題だと考えているのか。

    「教師としての資格はない。学校の処分をまって、身を処したい」

    ――具体的には辞めることも考えているのか。

    「はい」

    渡部教授は1952年生まれ。日本ジャーナリスト専門学校講師や近畿大学文芸学部教授を経て、2008年より早稲田大学文化構想学部の文芸学科文芸・ジャーナリズム論系で教授を務めている。

    ■「つぶされるかもしれないので、口外しないでほしい」

    この問題で被害女性は、早大に申立書を出す前に、現代文芸コースの主任だった別の男性教授にハラスメントについて相談している。ところが男性教授は反対にこの問題を口外しないように求めたという。

    申立書によると、渡部教授と飲食店に行った数日後、東京・目白の喫茶店で、女性は当時同級生だった友人女性と2人で男性教授に、渡部教授のハラスメントについて相談した。同席の友人女性は当時の状況をこう述べる。

    「男性教授と目白駅で待ち合わせ、駅前の喫茶店に3人で入りました。テーブル席で、私の隣に女性が座り、男性教授が対面に座りました。ハラスメントの内容を説明すると、男性教授は『渡部さんに悪気はない』『女性の態度にもすきがあり、男性を勘違いさせている』『このことを公にすると、現代文芸コースがつぶされてしまうかもしれないので、口外しないでほしい』といった趣旨の発言をしました。女性がぼうぜんとしていたのを覚えています」

    口止めの事実について、プレジデントオンラインは男性教授に問い合わせたが、男性教授は携帯電話には出ず、メールで「本件については、大学広報に対応を一本化しており、個別には答えられません」と回答した。

    ■早大は「申立をお受けできない場合もあります」

    女性は今年に入り、ほかに被害者を出したくないと願い、早大のハラスメント防止室に渡部教授への処分などを求めた。だが早大の対応は女性の求めるものとはかけ離れていた。

    女性は被害を訴えるうえで、父親の同伴を求めたが、早大は当初難色を示し、女性から抗議を受けるまで、同伴を認めなかった。また女性が退学手続き中だったことから「中退をされた場合には、申立をお受けできない場合もあります」とも説明した。

    その後、早大は女性の訴えを受け止め、「苦情申立書」の提出を求めたが、書類の提出は本人の手渡ししか認めず、郵送や代理人の手渡しでの提出を一度は拒否した。

    女性は「大学のハラスメント防止委員会のホームページには『被害を受けた学生・生徒および教職員等が、安心してハラスメントの苦情を申し立て、相談を受け付けられる窓口を設置します』と書いてありますが、実際には苦情申立書は被害者本人による手渡ししか受け付けず、電話の際も面談の際も相手方の面談員に名乗ってもらえないなど、とても安心して相談できる窓口ではなかった」と振り返る。

    ■弁護士「親や代理人の同伴は最初から認めるべき」

    女性から相談を受けている山本裕夫弁護士は「早大の対応は配慮が足りない」と指摘する。

    「そもそも彼女の退学理由はハラスメントなのに、『中退をされた場合には、申立をお受けできない場合もあります』という対応は不誠実です。在籍中に声をあげられなかった人もいるはずで、そういった声こそ取り上げるべきではないのでしょうか」

    「またハラスメントを受けたという忌まわしい記憶がある場所に、しかも本人ひとりで、書類を持ってこさせるという行為も配慮が足りない。親や代理人の同伴は最初から認めるべきで、書類の提出も本人である必要はないはずです」

    女性はハラスメントを受けた後、大学院を中退している。当初は中退するつもりはなかったという。

    ■「卒業できるんですか(笑)」

    「ハラスメントを受けた後、指導教官を変更してもらったのですが、1人でキャンパスを歩いているときに渡部教授に出くわしました。そのとき渡部教授から、笑いながら、『卒業できるんですか。単位は大丈夫なんですか。まあ頑張ってください』と言われました。その言葉が威圧的に感じられ、それから1人で学校に行くことに恐怖を感じるようになりました」

    「また、ハラスメントを相談した男性教授から、反対に口止めを受けたことから、このコースに不信感を抱き、最終的には学校に行くことができなくなりました」

    女性はまだ渡部教授から謝罪を受けていない。渡部教授は「彼女に対して申し訳ないと思っていますが、廊下で会ったのが最後で、その時に謝罪をしそびれてしまいました。その時私が笑っていたのには別の理由があります」と話す。

    ■「それは反省するしかありません」

    プレジデントオンラインが「謝罪するつもりがあったなら、手紙などさまざまな手段があったのではないか」と聞くと、渡部教授は「それは反省するしかありません」と述べた。

    女性は告発の動機について、「たとえ匿名で告発したとしても、個人攻撃など被害は何かしら起きるかもしれないという怖さはありました。でも、最近の#MeToo運動を見て、自分も声を上げてもいいのだと思い、決意しました」と話す。

    また早大に対しては、女性は「絶望した」と話す。

    「フェミニズムやジェンダー論を教えている大学という教育現場で、ハラスメントが起こっていること、そしてハラスメント防止の組織が実際には機能していないということに絶望しました。私の告発により同じ被害を受ける学生が減ることを願います」

    早稲田大学早稲田キャンパスにある「大隈講堂」(写真=iStock/mizoula)


    (出典 news.nicovideo.jp)


    <このニュースへのネットの反応>

    【早大名物教授「過度な求愛」セクハラ疑惑】の続きを読む

     少子高齢化、人口減少のなかで大学は全入時代に突入しようとしている。大学は学生を獲得するために熾烈な戦いを強いられることになる。

     人気大学のランキングでは上位に入る青山学院大学も例外ではない。青学といえば、若者のファッションの聖地・青山という好立地で英語教育に力を入れてきたことから、特に女性から絶大な人気を集める大学だ。ミス青学には久富慶子、新井恵理那、福田成美、準ミスには江藤愛、田中みな実などが選ばれており、人気女子アナの登竜門としても知られている。

     しかし、そんな青学も日本の大学教育には危機感を抱いているという。三木義一学長は「(急速な人工知能<AI>の発展のなかで)文系学部の仕事の大半は20年後にはなくなる」と警鐘を鳴らす。

     そのため、青学も生き残りをかけて新しい取り組みを行っている。その目玉となっているのが「シンギュラリティ研究所」の設立だ。

     シンギュラリティとは、日本語に翻訳すると「技術的特異点」。これだけではなんのことかわからないが、要はAIやビットコイン、ウーバーなどの新しい技術によって社会が飛躍的に変化することだといわれている。AIの普及で人の仕事の半分以上がなくなり、ウーバーはタクシー業界を消滅させ、ビットコインは既存の金融秩序を崩壊させてしまうかもしれない。

     事実、アメリカの大手証券会社のゴールドマン・サックスは、AIによる証券取引を導入したことにより、2000年ごろには約600人いたトレーダーが今では数人しかいないという。さらに、弁護士や公認会計士といった高収入の花形業種もAIに取って代わられるというから、社会の価値観が大きく変わってしまうかもしれない。

     しかし、そうした科学の発展を人が止めることはできない。では、そんな変化が起きたときに人はどうすればいいのか。そんな近未来の状況を予測し、新しい時代になっても人が幸せに生きられるようにと考えるのが、シンギュラリティだ。これが、シンギュラリティが「未来学」といわれるゆえんでもある。

     しかし、日本ではこれまでシンギュラリティについて本格的に研究する大学はなかった。なぜ、青学がシンギュラリティ研究所の設立を決断したのか。その真意について、三木学長が語った(以下、4月22日に行われたシンギュラリティ研究所開設記念の基調講演会での話の要旨)。


    ●大学の文系学部は不要になる?

     AIの指数関数的発展にうまく対応できない文系、社会系の教育に対しては、この間、さまざまな機関から問題が指摘されております。

    「大学には文系学部はいらない」

    「文系学部出身の人が就く仕事の大半は20年後にはなくなる」

    「日本の大学の大半は日本語での教育で、国際化ができていない。国際社会に人材を送り出していない」

     これからの大学教育は、分離融合型かリベラルアーツ(学士課程において、人文科学・社会科学・自然科学の基礎分野<disciplines>を横断的に教育する科目群・教育プログラム)が主流となるといわれている。

     世界はますます狭くなる。国際共通語の英語とAI共通語のプログラミングが必須の教育課題。では、本当に文系、社会科学系の意義はなくなるのか。AI関連のテクノロジーが劇的に進展しているなかで、理系の技術者は目先の技術開発に目を奪われる。そうしたなかで、AIの進展が人間社会のなかで何をもたらすのか、AIが人間の知能を超えるシンギュラリティという現象が生み出されるのか。そんな疑問が次々に浮かび上がってくる。

     さらに、情報テクノロジーの発展が民主主義のポピュリズムに変質し、AIが人間の仕事を奪うなら社会の富の格差は各段に広がる。どうしたら社会を安定したものにできるのか、自動運転で自分の乗客を事故に遭わせた場合には、誰がどのように責任を負うのか、遺伝子操作はどこまで許されるのか、仮想通貨はどこまで通用するのか。現金取引、日本ではまだこれが主流ですが、これがいつまで続くのか。

     私どもの大学は新図書館の建設を計画していますが、図書館はいつまで図書館であり続けるのか、自動翻訳の劇的な進化と双方向通信機能の飛躍的な上昇を考慮すると、大学の授業はどう変わっていくのか、などの問題もすぐに浮かびます。これらビジネス社会の未来を予測するのは難しい。むしろ、どうなるのかわからないといったほうがいいのかもしれません。

     わからない問題、答えがひとつでない問題を検討するというのは、文系や社会系の学問の得意技です。大学こそがこういう課題に挑戦すべきなのかもしれない。未来を予測するより、未来に積極的にかかわっていくほうがいいのかもしれない。自然現象と人間社会の関係を文系、社会系の角度から多角的に検討してみることは、大学のひとつの役割かもしれない。

     こんな思いから、青山キャンパスの文系の学部の研究者を中心にシンギュラリティの研究所を立ち上げることにいたしました。
    (文・構成=松崎隆司/経済ジャーナリスト)

    青山学院大学の三木義一学長(写真=小平尚典)


    (出典 news.nicovideo.jp)



    【大学に文系学部は不要?文系の仕事は消える?青山学院大学学長が警告】の続きを読む

    NO.6471579 2018/06/11 19:45
    53歳で早稲田大学院へ、秋吉久美子語る「学び直し」の魅力
    53歳で早稲田大学院へ、秋吉久美子語る「学び直し」の魅力
    子育てなどもとっくに終わり、代わり映えしない日常で……なんてもったいない! いまだからこそ、あなた自身の人生を取り戻すべき。「人生100時代」を楽しみ尽くすための、「学び直し」という選択。彼女たちの一...



    【日時】2018年06月11日 16:00
    【提供】女性自身


    【53歳で早稲田大学院へ、秋吉久美子語る「学び直し」の魅力】の続きを読む

    法政大の学生が講義中に非常識な行動を取っていたとの報告がツイッターに寄せられ、インターネット上に「ありえない」「流石にこれは...」といった疑問や批判の声が出ている。

    話題となった投稿などによれば、学生の受講態度に激怒した教授が、講義を中断して教室から去った後に「事件」は起きたという。

    「これは許される行為なのだろうか」

    騒動の発端となったのは、法政大社会学部の学生だというあるユーザーが2018年6月6日に投稿したツイートだ。

    「先生が教室出てってから先生が置いてったノートの写真撮るために群がってる連中がいる笑 これは許される行為なのだろうか?」(原文ママ)

    投稿には、教壇の周りに10人近くの男女が集まっている写真も添えられており、中心にいる男子学生が机の上をスマホで撮影している様子が確認できる。周囲の学生は、こうした行為を笑顔で見ている。

    いったい、何があったのか。一連の騒動を同じ教室で目撃したという投稿者とは別のある学生は7日、J-CASTニュースのツイッターを通じた取材に応じ、トラブルの経緯について次のように説明した。

    まず、この講義は「ミクロ経済学」で、受講生が多いため大教室で行われていた。担当教授が離席したのは、一部の学生が教室の後方で床に寝そべり、スマホをいじりながら談笑していたためだ。

    教授はこうした一部学生の受講態度を咎めたが、当人たちは注意を無視。これに教授が激怒し、講義に必要な道具を放置したまま教室を去って行った。その後、別の学生たちが教壇に残された講義用のノートの撮影を始めたという。

    投稿者の学生が取材を拒否したワケ

    一部学生の非常識な行動を告発した投稿はネット上で注目を集め、ツイッターやネット掲示板には、

    「流石にこれは見たことない」
    「切れて帰った先生の忘れたノート盗み見るって民度やばすぎやろ」
    「何のために講義でてんの?」

    といった声が上がっている。

    こうした騒動について、法政大学広報課の担当者は7日夕、J-CASTニュースの取材に対し、

    「本件について事実確認を現在調査中です」(原文ママ)

    と回答。ただその後、「本学として、学生のプライバシーへのご配慮もお願い申し上げます」とだけ追加で連絡があった。

    J-CASTニュースでは、話題となったツイートを投稿した学生当人にも取材を依頼していた。だが、この学生は「大学側の不利益になりかねないので取材は受けないでほしい」との連絡を大学から受けたと説明。そのため、今回の取材には応じられないとのことだった。

    大学の講義中に学生がまさかの行動に…(写真はイメージ)


    (出典 news.nicovideo.jp)


    <このニュースへのネットの反応>

    【法政大、一部学生が講義中断の教授のノートを集団「盗撮」】の続きを読む

    京都大学のキャンパス周辺に設置されていた立て看板が、大学当局により強制撤去された。撤去の発端は、大学が京都市から景観条例にもとづく行政指導を受けたことだった。だが景観条例を理由に、立て看板を撤去することは妥当なのか。早稲田大学の卯月盛男教授は「今回の取り組みは評価できない」と警鐘を鳴らす。その理由とは――。

    ■早大教授「今回の取り組みは評価できません」

    「京大名物」と言われてきた吉田キャンパス周辺の立て看板が、昨年末から規制され、今年5月に入って京都大学当局によって強制撤去された。現役学生やOBの一部は「京都大学の文化がなくなる」といった嘆きの声をあげている。

    撤去の発端は、昨年10月、京都大学が京都市から屋外広告の規制条例に違反するとして文書で行政指導を受けたことだった。行政指導を受け、京都大学は12月に看板の設置場所を指定場所に限るという規定を策定。規定に合わない看板については、今年5月、強制撤去した。

    大学側は「京都市屋外広告物に関する条例」を根拠としている。だが、都市デザインを専門とする早稲田大学の卯月盛夫教授は「今回の取り組みは評価できません」と大学と市の判断を真っ向から否定する。

    「理由は2つあります。1つは、条例が基本的に民間の商業広告を規制するものであるからです。具体的には、繁華街にある飲食店などの看板が想定されており、京都大学を含む教育機関や公共施設については触れられていないのです。条例のガイドラインには、最後の行に「商業広告以外の営利を目的としないものも含みます」と書かれていますが、そうした曖昧な規定を根拠にするのは乱暴です」

    「本来であれば公共性の強い京都大学のような場合は、大規模な教育機関の土地利用として京都市は別途詳細なガイドラインを設けるべきです。大学の立て看板を民間の看板と同じ内容で規制をかけようとしていることに違和感を感じます」

    さらに2つ目にあげるのが、ガイドラインには「屋外広告物とは常時または一定期間掲示されるもの」と記述があるが、その期間が曖昧であるという点だ。

    「自治体によりますが、例えば横浜市のみなとみらい地区では一定期間を10日間と定め、イベントの数日間は派手な看板を出せるようになっています。このような具体的な期間を定めているならまだしも、京都市はそれを明確にしていません」

    つまり、条例の規制対象は商業広告を想定している点と、掲示期間の定義が不明確という点が、規制するのに無理があるというわけだ。この2点をクリアできなければ、条例を根拠とするのは乱暴であるという印象がぬぐえない。

    ■大学の立て看板撤去はサークル活動を衰退させる根拠

    また、このような法的な問題以上に、議論が盛り上がることになったのが、立て看板とともに学生文化が消滅するという文化的観点だ。

    京都大学の吉田寮に住んでいたという43歳のOBは「50年来の伝統なので、あれこそが景観じゃないか。自然消滅するならわかるが、人から言われてなくすものじゃない」と語気を強める。

    このOBは、学生の対応をみて「大学に抗議するより議員や市長に訴えたほうが効果的なのでは」と提案するが、しかしどう闘ってもこのような訴えはむなしく終わる可能性がある。かつて法政大学で、同じように規制され、結局、立て看板という学生文化が消えてしまったからだ。

    2006年の立て看板規制について、当時学生だった32歳のOBはこう振り返る。

    「法政大学は2006年にキャンパスの立て看板規制を強いられました。大学当局のブランディングの戦略上、古臭く貧乏臭いイメージを払拭するのが目的だったのでしょう。新左翼セクトの中核派を中心に強い反対運動が起こりましたが、規制から10年以上がたち、立て看板の文化はほとんど残っていません。縮小されたスペースでかろうじて生き残っていますが、現役学生はほとんど使っていないようです」

    ただし、別の法大OBは「京大は法政ほど規制がスピーディに進むとは思いません」と推測する。

    「京都大学は大学院生も多く、4年以上在籍する人も珍しくない。寮があるので大学を居場所にする人が多いからです」

    しかし、京大を取り巻く状況は厳しい。規制強化の対象は立て看板だけではない。もうひとつの名物学生寮「吉田寮」にも寮生の退去命令が出されているからだ。京大の学生文化は深刻な危機にある。ある京大OBは「サークル活動で親しまれている西部講堂の利用規制も進むのではないか」と懸念する。

    ■立て看板規制は受け入れるしかないのか?

    では規制が強まる中で、立て看板に関してどのように決着をつけるべきなのだろうか。前出の卯月氏は、「京都大学周辺の地域特性を踏まえた新たな規制を作るべき」と提言する。

    「ガイドラインの基本的な方針には『地域ごとの地域特性を踏まえた規制にすること』と書いてあります。京都市は観光都市であるだけでなく、大学都市も標榜しています。多くの大学が存在し若者の活気があることを京都市はポジティブに捉えているわけです。であれば、地域特性として基本的な方針に倣うべき。京都大学の立て看板をネガティブに評価することは、問題をよりこじらせてしまうことになるでしょう」

    本当に「地域特性」という解釈が通じるのだろうか。他の自治体をみれば、前例はあると卯月氏はいう。

    「地域の活性化のため、野球場やサッカースタジアムを造ることがありますが、チームカラーの赤や黄色が、屋外広告条例に違反しているとみられるほど大きく展開されているケースがあります。ですが、それが人の賑わいを誘っていれば、自治体はそれを地域特性として、その賑わいのある景観をポジティブに評価しているのです。そうした事例があることを考えれば、京都大学の立て看板も地域特性として受け入れられる余地はあるでしょう」

    具体的な方法としては、学生側が自主的なルールを作成して議論を進めていくことがふさわしい、という。

    「京大の歴史や地域の特性を踏まえ、学生が自主的なルールを作成し、京都市と京都大学と一緒に議論する場を設ける。ルール作りには1年くらいの時間をかけたほうがいいでしょう。これは、過去の京都市の景観に関する取り組みをさかのぼってみても、妥当といえます。11年前、京都市が新景観政策を発表して反対運動が起きた際、『子どもたちに京都のよさや美意識を伝えるため、伝統的な寺院がある町にけばけばしい色彩や醜い看板は好ましくない』と市長自らが教育のための景観政策だと訴えた歴史があります。私はこれを高く評価しています。当時のこの教育意識があれば、『京都市の景観の問題をみんなで考えましょう』とするのが、本来京都市のあるべき姿勢です」(卯月氏)

    つまり立て看板規制を単なる「ベニヤ板を巡る議論」と捉えると、大きく事態を見誤ることになる。景観条例の解釈、学生文化の衰退という2つの危機に加え、根本的な問題は「自治体との話し合いが設けられていない」という点にあるからだ。

    OBたちからは影響を最小限にとどめるためにも、立て看板が景観として受け止められる可能性を模索すべきという声が挙がっている。看板が撤去されたいま、それは果たして可能なのだろうか。一度、失われた文化を取り戻すことは簡単ではない。

    ----------

    亀山具依(かめやま・ぐい)
    ライター
    1990年生まれ。4年半のOL生活を経て、現在はフリーのライターとして活動。体験や企画、潜入レポートを好む。週に一度、歌舞伎町のバーに勤める。

    ----------

    写真=時事通信フォト


    (出典 news.nicovideo.jp)




    【立て看板の消えた京大になにが残るのか】の続きを読む

    このページのトップヘ